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東京地方裁判所 昭和49年(行ウ)26号 判決 1977年10月18日

原告 金燦圭

被告 東京入国管理事務所主任審査官 ほか一名

訴訟代理人 小沢義彦 藤村啓 荒木文明 ほか二名

主文

1  原告の請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告東京入国管理事務所主任審査官が昭和四八年一一月二二日付で原告に対してした退去強制令書の発付処分を取り消す。

2  被告法務大臣が昭和四八年一〇月三〇日付で原告に対してした原告の出入国管理令第四九条第一項の規定に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決

二  被告ら

主文と同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和二二年一二月一二日韓国慶尚南道において、父金炯益と母蒋畢愛との間の長男として出生した外国人であるが、昭和四七年九月下旬有効な旅券を所持しないで大阪港に上陸し、本邦に不法入国した。

2  原告は、東京入国管理事務所入国審査官により出入国管理令(以下「令」という。)第二四条第一号に該当すると認定されたので、口答審査の請求をしたところ、特別審理官は入国審査官の認定には誤りがない旨の判定をした。

そこで、原告は、被告法務大臣に対し令第四九条第一項の規定による異議の申出をしたところ、被告法務大臣は昭和四八年一〇三〇日付で右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、次いで、被告東京入国管理事務所主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)は同年一一月二二日付で原告に対し外国人退去強制令書(以下「本件令書」という。)を発付(以下「本件令書発付処分」という。)した。

3  しかしながら、本件裁決及び令書発付処分は、次の理由によりいずれも違法である。

(一) (送還先に関する違法)

(1) 本件令書には、送還先として「朝鮮」と記載されている。

しかしながら、退去強制令書には送還先として特定の国を記載しなければならないものである。(令第五一条、令施行規則第三八条、令第五三条)ところ、「朝鮮」という国は存在しないし、また、「朝鮮」という用語はいかなる意味においても特定の国家の表示とはいえないから、本件令書は送還先として特定の国の記載がなく、かつ、送還先の特定を欠くものである。

したがつて、本件令書発付処分は違法である。

(2) 本件令書には、送還先として「朝鮮」と記載されているが、「朝鮮」なる国は存在しないから、「朝鮮」なる国に強制送還することは執行上不能であり、かかる内容を有する本件令書発付処分は違法である。

(3) 本件令書発付処分は、原告を韓国に送還しようとする目的でされたものであり、このことは韓国に送還する目的で設置されている大村入国者収容所に原告を収容していることによつても明らかであるが、右発付処分は次の理由によつても違法である。

<1> 朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」ともいう。)の国籍法(一九六三年一〇月九日公布)には、次の規定がある。

第一条 朝鮮民主主義人民共和国公民は次のとおりである。

一  朝鮮民主主義人民共和国創建以前に朝鮮の国籍を所有していた朝鮮人とその子女で、本法の公布日までにその国籍を放棄しなかつた者

二  (以下略)

<2> 原告の父金炯益は右規定によつて北朝鮮の国籍を有し、原告は前記1のとおり昭和二二年一二月一二日父金炯益の長男として出生したが、いまだに北朝鮮の国籍を放棄したことはない。

したがつて、原告は北朝鮮の国籍を有する者である。

<3> よつて、原告を韓国に送還しようとする本件令書発付処分は、令第五三条第一項の「退去強制を受ける者は、その者の国籍又は市民権を有する国に送還されるものとする。」の規定に違反し無効である。

(4) 本件令書発布処分が、原告を北朝鮮へ送還するものであるとしても、わが国と北朝鮮とは現在国交がないため、実力をもつて原告を北朝鮮に送還する方法がないから、右処分は執行不能であり、かかる内容を有する右処分は違法である。

なお、令第五二条第四項は、自費出国について規定しているが、右自費出国の方法はいわゆる直接強制にあたらないし、右の方法によつても北朝鮮の承認がない限り入国は不可能である。また、原告が右の自費出国を希望していないものである以上、北朝鮮への送還は不能である。

(二) (確立された国際法規ないし憲法第九八条第二項違反)

(1) 難民の地位に関する条約は、政治難民すなわち、政治的意見の相異の理由をもつて迫害を受ける十分な根拠があり、そのため外国に居てこれらの恐怖により自国の保護を受けられないか、又は、それを望まない者(同条約第一条A項(2)参照)を、その生命及び自由が脅かされている国へどのような方法を使用するにしろ追放又は強制送還してはならないと定めている(同条約第三三条参照)。

わが国は、前記条約を批准していないが、世界三九か国がこの条約を批准しており、この条約は、難民保護の歴史に照らしても、すでに国際間で慣習法となつていたものが成文化されたものであるから、憲法第九八条第二項にいう「確立された国際法規」にあたるものである。

(2) 原告は、右条約にいう政治難民である。

<1> 韓国は、勝共統一を叫ぶ反共国家であり、一九六〇年公布の国家保安法は反国家団体の不法支配下にある地域と往来した者は五年以下の懲役に処する(第六条)と定め、また、一九六一年七月公布の反共法は国外の共産系列の活動を讃揚、鼓舞またはこれに同調した者は七年以下の懲役に処する(第四条)と定め、国外の共産系列の構成員と会合し、通信し、金品の提供を受けた者は七年以下の懲役に処する(第五条)と定め、かつ、これらの罪を犯した者を知りながら捜査機関等に告知しなかつた者は五年以下の懲役又は一〇万ウオン以下の罪金に処するという不告知罪の規定(国家保安法第九条、反共法第八条)に置いている。

そうして、韓国では、朝鮮民主主義人民共和国を反国家団体であると規定し、また、在日本朝鮮人総聯合会(以下「朝鮮総聯」という。)は反共法にいう国外の共産系列にあたると解されている。

<2> 原告の父金炯益は、昭和一二年ごろ朝鮮から日本に来たものであるが、同三二年から大阪でパチンコ業を営み、同三三年朝銀大阪信用組合理事となり、次いで同副理事長、同組合長を歴任し、さらに同四三年在日朝鮮人大阪府商工会長に就任し、今日に至るまで在日朝鮮人の権利擁護のために闘つてきたもので、朝鮮総聯創立以来の活動家であり、同四八年一〇月二〇日から同年一二月八日までの間、在日本朝鮮人商工人祖国訪間団に加わり、北朝鮮を訪問した。

<3> 原告が韓国に送還されるときは、原告は、父金炯益と会合連絡し、金品の提供を受けたこと及び朝鮮総聯の主張に同調したことの故をもつて、前記国家保安法及び反共法により処罰される虞がある。

(3) したがつて、本件裁決は、政治難民である原告を迫害の待つ韓国に送還することになるものであるから、確立された国際法規ないし憲法第九八条第二項に違反するもので無効である。

また、本件令書発付処分は、右裁決を前提としたものであるから、その前提を欠くことになり違法である。

(三) (裁量権の範囲の逸脱又はその濫用)

(1) 仮に、政治難民を迫害の待つ国に強制送還してはならないことが国際慣習法とまではいえないとしても、このことは正義・人道にかなうものとして国際法上の法の一般原則ないし条理となつている。

(2) 原告は、本件裁決及び令書発付処分により韓国に強制送還されることになると、前記(二)のとおり国家保安法等により重い刑に処せられる危険がある。

(3) 日本国政府は、第四一回国会衆議院法務委員会(昭和三七年八月二四日)において、前記(二)の(1)の難民の地位に関する条約に関し、「日本としてもその条約の趣旨には賛成でございますので、これに入る入らないとを問わず、人道を尊重するというその原則で行動すべきことは当然でございます。」と答弁した。

(4) 日本に在留する朝鮮人については、その歴史的経過及び人道上の配慮などから、一般外国人と異なる法的地位が認められている。

法務大臣は、朝鮮人が肉親を頼つて不法入国した場合、事情に応じ特別在留許可を与える取扱いをしてきており、昭和四八年には朝鮮からの不法入国者五三〇名に対し、三五四名に特別在留許可が与えられ、昭和三九年から同四八年までの一〇年間に、朝鮮人のうち九六四六名に対し特別在留許可を付与している。そうして、右在留許可を受けた者の数は、在日朝鮮人六十四万八千余人のうち二万二〇〇〇人にも及んで居り、特別在留許可は不法入国の朝鮮人に対し高い比率で与えるというのが行政先例ないし行政慣行である。

(5) 原告は、父金炯益を頼つて入国したものであり、韓国に肉親はおらず、また、強制送還されれば再び実父に再会できる機会はおそらく一生無くなつてしまうことになる。

(6) 以上に述べた諸事情が存するものであるから、被告法務大臣は本件裁決をするに際し、令第五〇条第一項に基づき原告に対し特別在留許可を与えるべきであるのに、これを付与することなく本件裁決をしたものであるゆえ、同裁決は裁量権の範囲を逸脱したか、又は裁量権を濫用したものであつて違法である。

また、被告主任審査官のした本件令書発付処分も、右裁決を前提としてされたものであるから違法である。よつて、原告は本件裁決及び令書発付処分の各取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  請求原因3(一)の(1)のうち、本件令書の送還先欄に「朝鮮」と記載されていることは認め、その余は争う。3(一)の(2)及び(3)の主張は争う。

3  請求原因3の(二)について

(1)のうち「難民の地位に関する条約」に原告主張のような規定があること、わが国が右条約を批准していないことは認め、同条約が「確立された国際法規」であることは争う。

(2)の<1>は不知。<2>のうち原告の父金炯益が大阪でパチンコ業を営み、現在在日朝鮮人商工連合会大阪府商工会会長の職にあり、昭和四八年一〇月二〇日から同年一二月八日までの間、再入国許可を受けて、親族訪問、経済事情視察のため出国したことは認め、その余は不知。<3>は争う。

(3)の主張は争う。

4  請求原因3の(三)について。(1)の主張は争う。(2)の事実は否認する。(3)の事実は認める。(5)のうち、原告が父を頼つて入国したことは認め、その余は争う。

三  被告らの主張

(請求原因3(一)の(1)に対し)

1  本件令書は、送還先欄に「朝鮮」と記載されているが、この記載は何ら違法でない。

(一) 原告は、朝鮮半島出身者であり、朝鮮半島のうち韓国の支配する地域から本邦に不法入国した者であるところ、韓国政府発給の旅券又はこれに代わる国籍を証明する公的文書を所持しておらず、にわかに韓国の国籍を有する者と認定できないので、被告主任審査官は、本件令書の送還先欄に朝鮮半島全域を表示する「朝鮮」と記載し、原告を朝鮮半島に送還するものであることを表示した。

(二) このような場合において、令書の発付を受けた者が、韓国への送還を希望するときは、韓国に、また韓国政府の有効な支配及び管轄権が及んでいない朝鮮半島のその余の地域への送還を希望するときはその地域に、それぞれ送還するものとしており、さらにその者が朝鮮半島のいずれの地域にも送還されることを希望せず、他の第三国への送還を希望するときは、自らの費用で当該希望する国に退去することも可能(令第五二条第四項)である。

(三) 令第五三条にいう国は、「国家」を指す場合と末承認国や朝鮮半島のように「地域」を指す場合があると解すべきであるから、この意味では「朝鮮」も同条にいう国にあたるものである。

(四) したがつて、本件令書の送還先欄の「朝鮮」の記載は、朝鮮半島を指すものとして送還先が特定されているのみならず、朝鮮半島という送還の地域を韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいる地域とするか、あるいはそれ以外の地域とするかについては、原告が選択特定することができるものである。

(請求原因3(一)の(3)に対し)

2  原告は、本件令書発付処分が、原告を韓国に送還するものであるとして、本件裁決及び右令書発付処分の違法を主張するが、右1記載のように本件令書により原告はその国籍の属する国に送還されることになるものであり、原告が韓国への送還を希望する場合は別として、本件令書発付処分により原告は必ずしも韓国に送還されるものではないから、原告の右主張は前提を欠き失当である。

(請求原因3(一)の(3)に対し)

3  本件令書発付処分を受けた原告が、送還先として朝鮮半島のうち韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない地域に送還されることを希望した場合には、その地域に送還することが可能である。

わが国は、右地域とは国交をもたないので、令第五二条第三項本文により、右地域に被退去強制者を直接送還することはできないが、同条第四項に基づき、被退去強制者が主任審査官の許可を受けて自らの負担により、自ら本邦を退去することができ、これも退去強制令書の執行の一形態であり(令第五二条第三項、第四項)。わが国の港から右地域に向けて出発する船舶等を利用して本邦から退去することもでき、この方法により退去強制令書を執行することが可能である。

なお、原告が韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島のその余の地域に送還を希望し、かつ、令第五二条第四項の規定による自費出国の許可申請をしないときは、送還先についての選択権を放棄したものとして、朝鮮半島のいずれの地域にも送還が可能となるものであるから、本件令書発付処分が執行不能とはならない。

(請求原因3の(二)に対し)

4(一)  難民に関する条約は、いまだ国際的に法規範としての意識に支えられ、国際慣習法として確立しているものではないから、右条約は憲法第九八条第二項にいう「確立された国際法規」に当らない。

なお、右条約は、不法入国者に在留を許可すべき義務を締約国に課しているものではなく、単に他国内への入国許可を得るための相当の期間及びすべての必要な便宜を与える義務を負わせるにすぎない(同条約第三一条参照)ものである。

(二)  原告は、勉学のためわが国に在留する父を頼つて韓国から不法入国したもので、その不法入国の動機や本国における状況等において、全く政治的背景はない。

また、原告の父金炯益が、在日朝鮮人商工連合会大阪府商工会長の職にあり、昭和四八年一〇月在日朝鮮人商工人祖国訪問団に加わり、北朝鮮を訪問したことを目し、その子である原告がこの理由のみで、本国において政治的迫害を受けるとは到底考えられない。

したがつて、本件裁決及び令書発付処分は憲法第九八条第二項に違反するものではない。

(請求原告3の(三)に対し)

5  被告法務大臣の本件裁決には裁量権の範囲の逸脱又はその濫用はない。

(一) 政府の第四一回国会衆議院法務委員会(昭和三七年八月二四日)における答弁は、人道を尊重するという原則を述べたものに過ぎず、原告主張の答弁に引き続いて法務大臣は難民に関する条約に加入していないわが国は同条約に規定するような国際法上の義務を負うものではないことを明言している。

(二) 令第五〇条に基づき、在留の特別許可を与えるかどうかは法務大臣の自由裁量に属するものである。

法務大臣が令第五〇条に基づき、在留の特別許可を与えるかどうかは、当該外国人の主観的個人的事情だけでなく、送還事情、国際関係、内政外交政策等の客観的事情をも総合的に考慮のうえ、これを決する恩恵的措置であり、その裁量の範囲はきわめて広い。そうして右客観的事情は時代と共に変遷するものであるから、単に統計上の在留の特別許可件数、入国時期、家族状況のみを比較して、本件裁決の違法をいうのは失当である。

(三) 原告は、韓国慶尚南道において出生し、二四才に達するまで父から直接の養育を受けることなく韓国で生育し、韓国の大学を中退後兵役にも服したもので、わが国に父が居住しているが、姉二人及び叔父ら近親者の多くが韓国で平穏に生活している。また原告のわが国での生活は不法入国から本件令書発付処分まで僅か一年余に過ぎないものであり、原告は成人にも達し、自活能力を有しており、父の扶養を必要としないもので、生活の本拠がわが国にあるものとは認められず、その経歴、家族状況等からみて、原告に在留許可をすべき特別の事情は全く見当らない。

したがつて、被告法務大臣が原告に対し在留の特別許可を与えなかつたことについては、何ら裁量に誤りはない。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがなく、同1の事実によれば、原告が令第二四条第一号の規定に該当することは明らかである。

二  そこで、本件令書発付処分及び本件裁決が違法であるとする原告の各主張について順次判断する。

1  (本件令書の送還先について)

(一)  原告は第一に本件令書には送還先として「朝鮮」と記載されているところ、「朝鮮」という国は存在しないから右記載は特定の国家の表示といえず、かつ送還先の特定を欠くもので、本件令書発付処分は違法であると主張する。

先ず、本件令書には、送還先として「朝鮮」と記載されていることは当事者間に争いがない。

次に、前記一の争いのない事実、<証拠省略>によれば、原告は、昭和二二年一二月一二日韓国慶尚南道において、父金炯益と母蒋畢愛との間に出生し、同四九年九月下旬有効な旅券を所持しないで韓国釜山市から本邦に入国したが、韓国政府発給の有効な旅券又はこれに代わる国籍証明書を所持していなかつた。そこで、被告主任審査官は、原告が韓国の国籍を有する者かどうかについて容易に認定できなかつたので、本件令書の送還欄に「朝鮮」と記載して右令書を発付した、以上の事実を認めることができる。

また、弁論の全趣旨によれば、右のような経緯により送還先として「朝鮮」と記載した退去強制令書が発付された場合、被退去強制者の送還については、被退去強制者が韓国への送還を希望するときは韓国に、また、韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島のその余の地域への送還を希望するときはその地域に、それぞれ送還することにしていることが認められる。

令第五一条、令施行規則第三八条が退去強制令書に送還先を記載すべきことを定めた趣旨は、退去強制令書発付の段階で送還先を定め、これをあらかじめ被退去強制者に知らしめることにあるものと解せられる。

そして、送還先につき定めた令第五三条にいう国とは、一般的には「国家」を指称し、退去強制令書に記載する送還先は「国家」名をもつて表示するのが通例といえようが、未承認国の国籍を有する者の退去を強制する場合等を考慮すると、必ずしも「国家」名をもつて表示しなければならないものではなく、一定の「地域」名をもつて特定し表示することを妨げず、右の国とは「地域」をも含むものと解するのが相当である。けだし、そのように解するのでなければ、未承認国の国籍を有する者に対しては退去強制を命ずることが不可能となつてしまうし、またそのように解しても退去強制令書に送還先を記載することとした法の趣旨に違背するところはないからである。

更に、ある一定の地域全体につき主権を主張してはいるが、そのうち一部の地域については有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない承認国があり、被退去強制者が右一定の地域の出身者ではあるが、右承認国の国籍を有するものとは断定し難い場合には、その一定の地域全体の「地域」名をもつて送還先を定め、これを表示することも許容されると解するのが相当である。けだし、右のように国籍を断定し難い場合に、承認国の「国家」名又は右承認国の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない地域の「地域」名のいずれか一方をもつて送還先を定めるときには、令第五三条第一項に牴触する送還先を定めたこととなる虞があり、かつ右のように一定の地域全体の「地域」名を表示した退去強制令書の執行につき、被退去強制者の自由な意思による選択により、承認国又はその有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない地域のいずれかに送還がされるという運用がはかられているならば、退去強制令書に送還先を記載することとした法の趣旨に違背することはないし、また被退去強制者の利益も何ら害することがないからである。

本件の場合、原告は朝鮮半島の出身者であるが、韓国の国籍を有するものとは断定し難い場合であり、また送還先を「朝鮮」と表示した退去強制令書の執行の運用として、被退去強制者の自由な意思による選択により、韓国又は韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島のその余の地域のいずれかに送還するものとされていることは前記認定のとおりである。

したがつて、「朝鮮」という「地域」を表示した本件令書の送還先の表示は令第五一条、令施行規則第三八条、令第五三条に違反することもないし、送還先の特定を欠くものでもない。

(二)  原告は第二に「朝鮮」という国は存在しないから、送還先を「朝鮮」と表示した本件令書は執行上不能であると主張するがその理由のないことは、右(一)から明らかである。

(三)  原告は、第三に、本件令書発付処分は、原告を韓国に送還するものであることを前提とし、原告は北朝鮮の国籍を有する者であるから、原告が韓国に送還されることになる本件令書発付処分は、令第五三条第一項の規定に違反し無効である旨主張する。

しかしながら、本件令書発付処分は、原告を必ずしも韓国に送還するものでないことは、前記(一)で述べたとおりであり、したがつて本件令書発付処分により、原告がその国籍を有しない国に送還されることになるものではないから、原告の右主張は前提を欠き、本件令書発付処分が令第五三条第一項の規定に違反するということはできない。

(四)  原告は、第四に、本件令書発付処分が原告を北朝鮮に送還するものであるとしても、わが国と北朝鮮とは現在国交がないから、その執行は不能であり、右処分は内容の実現不能なものとして違法である旨主張する。

たしかに、令第五二条第三項本文の規定による退去強制令書の執行としては、退去強制を受けた者をわが国と現在国交を有しない北朝鮮に直接送還することは現時点においてできないといえるけれども、しかし、退去強制を受けた者が自己の負担により、主任審査官の許可を受けて本邦を退去することもできることは同条第四項により明らかであり、これも退去強制令書の執行の一つである。したがつて、本件令書発付処分について、その内容が実現不能であるとすることはできないというべきである。

なお、原告は、右のいわゆる自費出国を原告が希望していない以上、北朝鮮への送還は不能であると主張するが、その場合は、原告が選択権を行使しないのであるから、原告を前記のいずれの地域にでも送還し得るものと解するのが相当であり、結局本件令書発付処分はその内容が実現不能であるということは到底できない。

2  (国際法規ないし憲法第九八条第二項違反の主張について)

原告は、本件裁決及び令書発付処分は政治難民である原告を迫害の待つ韓国に送還することになるものであるから、確立された国際法規ないし憲法第九八条第二項に違反すると主張するが、政治難民をその意思に反して迫害の待つ国に引渡してはならないことが国際慣習法として確立しているものとは認められず、また本件令書発付処分は、原告を必ずしも韓国に送還するものではないことは前記1(一)で述べたとおりであるから、右主張は主張自体失当であるのみならず、原告が政治難民に該当しないことは以下認定のとおりである。

(一)  <証拠省略>によれば、原告は後記3の(二)のとおり日本に居住する父金炯益を頼り、日本で勉学する目的でわが国に不法入国したことが認められ、<証拠省略>中、原告は韓国でKCIAから取調べを受けるようになつたため、これを悩み、日本に密航を考えたとの部分は、<証拠省略>と対比して信用しない。その他原告が右不法入国前に韓国で政治活動をしていたことないしは特定の政治的意見を有していたことを認めるに足りる証拠は何もない。

(二)  <証拠省略>を総合すると、原告の父金炯益は昭和三〇年朝鮮総聯が結成されるとすぐこれに加入し、北朝鮮支持の立場をとり、朝鮮総聯と関係のある朝銀大阪信用組合の理事長などの役職についたほか、在日朝鮮人商工連合会大阪府商工会長の地位にあり、同四八年には在日朝鮮商工人の祖国訪問団の副団長として再入国許可を得て北朝鮮に入国し、四十五、六日にわたつて滞在したこと、原告はわが国に入国後父金炯益から生活費の支給を受けていたことを認めることができ(金炯益が大阪府商工会長の地位にあり、昭和四八年に再入国許可を受けて出国したことは当事者間に争いがない)、この認定に反する証拠はない。

しかしながら、原告がわが国に入国後政治活動ないし朝鮮総聯などに関係する活動をしたと認められる証拠が全くないことからすれば、原告が仮に韓国に送還されたとしても、原告の父に関する右事実により、原告が同国の国家保安法及び反共法により処罰されることが確実であると認められることはできないし、他に右処罰の確実性を肯認するのに足りる的確な証拠はない。

してみると、原告は、政治的理由によつて韓国において迫害を受ける十分な根拠があり、この恐怖のためわが国に入国したものないしは在留しているものということはできないから、難民の地位に関する条約にいう政治難民には該当しないものというべきである。

したがつて、原告が政治難民であることを前提とする原告の前記主張は、その前提を欠くものであつて失当である。

3  (裁量権の濫用又は逸脱の主張について)

(一)  法務大臣が令第五〇条に基づき与える特別在留許可は、単に異議申出人の個人的事情だけでなく、国際関係、内政外交諸政策をも総合的に考慮のうえ、個別的に決定さるべき恩恵的措置であるから、その裁量の範囲はきわめて広いといわねばならない。

(二)  <証拠省略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告の父金炯益は、昭和一四年ごろ来日し、土木の仕事に従事していたが、終戦後の同二二年妻の蒋畢愛は夫を日本に残し、子供二人を伴い韓国に帰り、同年一二月一二日韓国で原告を出生した。

原告は、韓国の高校から大学に進学したが、一年で中退し、次いで韓国陸軍に入隊し、兵役に服したのち同四七年九月下旬日本に居住する父金炯益を頼り、日本で勉強する目的で大阪港に上陸し、本邦に不法入国した。

原告の父金炯益は、大阪市でパチンコ店等を経営し、日本人女性と内縁関係にあり、その間に出生した二人の子供らと同居しており、原告は、九月下旬日本に入国し、父の家に一旦落ち着いた。原告は、一〇月下旬上京し、叔父にあたる朴在煥方に同居して日本語の勉強をし、同四九年四月昭和薬科大学に入学した。

原告の母は昭和四三年四月に死亡したが、結婚した姉二人及び母の兄弟七、八人は現在も原告の本籍地で生活しており、また、母が所有していた住家は現在も釜山に残つている。

以上の事実を認めることができる(原告が韓国で出生し、大阪港に上陸して、本邦に不法入国したこと、金炯益が大阪でパチンコ店を経営していることは当事者間に争いがない。)。

原告は、原告が韓国に送還されると、再び実父と再会できる機会は一生涯なくなつてしまう旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、原告はこれまでもつぱら韓国で生活してきたものであり、日本に実父が居住していることを除いては、わが国に生活の基盤を有するものとはいえない。

(三)(1)  原告は、政治難民を迫害の待つ国に強制送還してはならないことは、国際法上の法の一般原則ないし条理となつていると主張するが、そのような一般原則ないし条理の存在は認められないし、原告が政治難民に該当しないことも前記2で判断したとおりである。

(2) 原告は、原告が韓国に強制送還されると国家保安法等により重刑に処せられる危険がある旨主張するが、前記二の1(一)で述べたように、原告は本件令書発付処分により必ずしも韓国に送還されることとなるものでないのみならず、韓国に送還された場合でも右主張のような重刑に処せられる客観的な確実性があるものとすることができないことも、前記2で判断したとおりである。

(四)  原告は、肉親を頼つて不法入国した朝鮮人に対しては事情に応じ特別在留許可が与えられ、不法入国の朝鮮人に対し高い比率で特別在留許可が与えられている旨を主張するところ、仮に右主張のような事実があるとしても、前記のように特別在留許可が恩恵的措置であつて、その裁量の範囲はきわめて広いことからすれば、右(二)、(三)に認定のような事情にある原告に対し特別在留許可を与えなかつたことについて裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があつたとは到底認められないから、本件裁決についてのそのような違法及び本件裁決の右違法を前提とする本件令書発付処分の違法をいう原告の主張はいずれも失当である。

三  よつて原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三好達 菅原晴郎 山崎敏充)

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